2019-02 マリーアントワネット

11月に帝劇で見たのを皮切りに、名古屋、大阪を追いかけたマリーアントワネット。

もうすでにロス。

フェルセンの始まりの場面から鮮やかによみがえります。

目を閉じれば~シャンデリアの下で踊る~♪

 

<マリーアントワネット全体に関して>

初演を知らないので、私にとって今回が初めてのMAですが、たまらず購入したCDを聞いたり当時の感想を見るに、初演よりも全体的にマイルドになっているのかな?と感じました。

あとはフェルセンが恋に溺れるだけの男じゃなく、一歩引いたストーリーテラーとしての役割も担いながら最後までマリーを支える素敵な役どころでした。

またマリーも初演よりも魅力的な役割担ったのではないかと思います。

全体的にフランス革命を知らないとわかりづらい部分もあったのではないかと思いますが、1789(や宝塚でいえばひかりふる路やルパンなど)でフランス革命に慣れ親しんだ部分もあるからでしょうか、気になる部分もなく受け入れられました。

マリーアントワネットに関しては時代が時代でなければ普通に過ごせたんじゃないかと思います。

アンサンブルの方たちも皆様力強く非常にいい座組だったのかなと感じました。

あと個人的に指揮者の方のすごさも感じました。一時期塩田先生が外れた時があったのですが、楽譜としては正解なんだろうけどこの今の場面ではテンポがずれてちぐはぐを感じるぞ!?っていうところが多々あったため、名古屋・大阪と先生が復帰されて改めて指揮の力を感じました。これが生演奏の良さだとも感じました。

見てハッピーになる訳でもないし、なんなら死ぬほどつらいのに、なんでこんなに何回も見てしまったのか改めて考えているんですが、役者がよかった、歌がよかった、見ずにはいられないなにかがあった、このあたりが理由でしょうか。

 

<キャストに関して>

・マリーアントワネット

 私はほぼ花總マリーで見ていて、笹本マリーに関しては2回だけだったので、偏っていてすみません。笹本マリーの印象は 、最後まで矜持を忘れない王妃だったと感じました。最後の裁判の時、静かに前を見つめている姿が王妃そのものでした。また花マリーよりも現実をわかっているように感じました。フェルセンに現実を見るように諭されてる時に居心地が悪そうに目をそらして髪の毛をいじいじしたり服の裾をいじったり、わかっている耳に痛いことをいわれている反応だと伝わってきました。

 花マリーももちろん王妃の矜持が強いのですが、二人の王妃のあり方は、明確な言葉にしづらいのですが、違うように感じました。一幕の最初なんとも無邪気にシャンデリアの下で笑っていて(本当に華やかでこの場面大好き!)、マルグリットに何か言われても、なんでそんなことをいうのかわからないという感じをうけるんですよね。「そうなの?」ってすごく不思議そうにいうのが、心のそこからの本心で平民なんて全く目に入ってない生活をしているだなと感じました。とにかくかわいいんですよ。花マリー。バルコニーで、「あなたを忘れようとした」的なことをいわれるとしゅんとするんですけど、「でも忘れられなかった」っていわれて笑顔がこぼれるんですよね。本当にかわいい。現実を見ろっていわれても、全然見ない。フェルセンの諭しなんか一切聞いてない。真面目な話の後お茶を入れたり笑顔でケーキを差し出して、諭され続けても、なんでそんなこと言われるのか心底わかってない。フェルセンに会えた喜びしかない。ルイが認めてくれたの!私たち一緒にいられるわ!と笑顔でいうからこそ、フェルセンとの間に溝が生まれ、それだけにフェルセンに立ち去られた後の孤独のドレスが胸を打ちます。王妃であるからこその孤独。

   その後打って変わって夏の夜の仮面舞踏会がとてもかわいい。「あら?こちらの紳士はどなたかしら?」って尋ねる声がまさに鈴を鳴らすような声でした。しかもマスクの下で微笑むんですよ。このシーン衣装がとてもかわいいので、どこかで仮面を外した姿が見たかったです・・・。

  そしてネックレス事件で王妃としての強さが出てくるのがたまりません。弱いだけじゃない、王宮という敵だらけの中で戦って生きてきた強さを感じました。「オルレアンよ!」っていったときにつり上がり気味になる目が大好きでした。この強さは一幕の終わりにも感じて、笹マリーは紙を投げ捨てないんですが、花マリーは我慢できない!といわんばかりに後ろに投げ捨てるんですよね。ここがとても好きでした。あと国民の前に出てきてオルレアンに足下を気をつけて的なことを言われたとき、オルレアンの顔をにらみつけて「サー!私に近寄らないで!!!!」って吐き捨てるようにいうところも強くて好きでした。フェルセンにもう会わないって言われた時の涙も、その後の名残おしい(という言葉で言い表せないくらいに名残惜しそうな)姿も本当にすき!!

 二幕冒頭でのフェルセンへ書いた手紙を読み上げる場面もとても好きでした。かすかに微笑みながらフェルセンへの想いを歌うんですが、王宮で孤独に過ごすマリーにとってフェルセンはなくてはならなかった存在だっただろうなと強く感じさせられるんですよね。彼女にとって、彼と出会えたことがどれほどの支えとなったことだろうかと。その後、民衆に踏み込まれたときには優しすぎるルイをかばうように「あなたたちの王ですよ!」と前に出てくるんですが、ここはまた強さでていて。ルイは、ずっと前から鍛冶屋になりたい、なんで私が王だったんだ、って何回もぼやいていてそれを励ましながら支えてきたのがマリーだったんだろうなとこの二人の間にも絆を感じました。それはおそらく男女の愛ではなかったと思いますが、家族の愛はあったと確信できました。この後の鍛冶屋になりたかったと歌ったルイをそっと抱きしめた悲しくも優しいマリーとその後のドアに取り乱してすがりつくマリーの落差が激しく魂の叫びを感じました。千秋楽でようやく「虫さえ殺せないヒトなのよ!!!」と叫んでいることに気づけました。

 話が少し戻りますが、二幕でマルグリットと対峙する時も王妃としての強さがバリバリにでてます。彼女のいう「ただ神に命じられた王妃」という言葉は素直にその通りだったんだと思います。私にとって神というのは非常に曖昧な存在なのですが、マリーにとって、王妃は自分の意思でどうこうできない役割だったんだと思います(そう自分に強くいいきかせないとやってられない状況だったのかもしれませんが)。だからこそマルグリットになぜ憎まれるかわからないし、そういう意味ではとても純粋に王妃だったんだと感じました。その声の低さ、強さと、フェルセンが尋ねてきてマルグリットが出て行って一人になった時からフェルセンを迎え入れたときの声の出し方がまるで違っていて、ここでもフェルセンがマリーにとってすべてをさらけ出せる相手だった心を預けられる存在であったことを感じました。

 そしてランバル夫人が殺され、ルイが殺され、白髪になってマルグリットを静かな声から始めて追い詰めていく姿も鬼気迫っていて特に千秋楽では、決して声を荒げるわけではないのに、マルグリットを確かに圧倒している鬼気迫るマリーがそこにいました。その後のフェルセンとの別れ、ここが初演と大きく違っていて、初演は「忘れて」っていってるんですが、今回は「忘れないで」っていうんですよ。ここまで真逆だと、私のことを忘れないでっていう言葉、それ自体がフェルセンに残せる最後の愛だったのかなとも思うんですが(マリーいなくなったら死にそうだし)、それだけ大きくマリーのあり方が初演と変わったんだろうなとも感じさせられました。

 子供を奪われまいと必死に手を広げて相手を押しやって、子供には笑顔を見せて大丈夫よ、となだめる、でも奪われてからの慟哭には毎回涙が止まりませんでした。そして最後の弾劾裁判の場面の急に年を重ねたかのような一切変わらない表情は、どんな言葉も何一つ彼女を傷つけることはできないのだと運命を受け入れた強さを感じました。最後手をとって立ち上がらせたマルグリットに微笑む姿は、すべてから解き放たれ、気高さにあふれ、マルグリットが彼女に対して礼を尽くしたがよくわかる神々しさでした。

 ああ語り尽くせない位素敵なマリー。

 出会えたことに感謝でしかありません。

 

・マルグリット

 マルグリットはダブルキャストを同じくらい見たのではないかと思います。お二人とも東京では「一瞬も幸せなときがない役」、大阪では「女優として向き合わなくてはいけない役だった」というような話をしていたのがとても印象的で、それくらい重い役だったんだなと改めて演じたお二人への尊敬を感じました。特に東京の2ヶ月公演の際には、もともと細い姿がさらにほっそりとされていて心配になるほどでした。それだけ全霊をかけて挑まれていたのではないでしょうか。

 それでは2人のそれぞれの印象を。

 昆マルグリット。彼女は怒りに満ち、正義に燃えるマルグリットであると感じました。「この世では正義なんていう”言葉”に意味はない」というように、正義のための行動をいとわないマルグリットがそこにいました。舞踏会に飛び込んできたときからマリーしかみてなくて、小さな体のどこにそんな力がと思うくらいに全身で怒りを表していました。パンを盗んできた時も、どうよ!これが正義よ!といわんばかりの誇らしそうな様子が印象的でした。彼女は自分のやっていることが正義だと信じて、燃えるような瞳でマリーを見つめていた姿が強く印象に残っています。処刑の後、ロベスピエールに反逆の証拠を渡す際も、一歩も引かないでオルレアンとエメールと対峙しており、とにかく最初から最後まで正義に燃えた昆マルグリットでした。

 ソニンマルグリット。彼女は地獄の中でただ恨みを募らせて同じ思いを味わえばいいと周りを呪うような憎しみにかられたマルグリットだと感じました。「この世では”正義”なんていう言葉に意味はない」というように、正義なんて何もない、世の中はなんて不公平なんだと感じていたように思います。彼女は舞踏会に飛び込んできた時に両腕を拘束されながらもキャンドルを目を開いて見上げるんですよね。こんな世界を見たこともないといわんばかりの驚いた表情も、マリーに会うと暗い瞳に変わる。彼女のマルグリットでいくつも印象に残っているシーンがあるんですが、まずはマリーを糾弾するときに喜びで言葉もないほど体が震えているところです。ついにこの日が来たと歌うときに恐ろしいほどに歓喜をして負の感情にとらわれた顔で笑うんですよね。初めて見たときはかなり怖かったです。部屋係としてマリーを監視することが決まる会議の時も「マルグリットアルノー」って名前を呼ばれた瞬間に、それまで伏し目がちだったの視線を前にあげるところも印象的でした(でも三白眼くらいに怖い。昆マルグリットは入ってきたときから前を見ていて、名前を呼ばれると顎がきもち上にあがる程度)。憎しみが人間の形になったのがマルグリットアルノーであるかのように機械人形のスイッチがオンになったように感じました。マリーと同じ歌を知っていた時も、はっとマリーを向いた後は、自分の幸せな記憶を探るように言葉を紡いでいたのが印象的でした(昆マルグリットは同じ歌を覚えていることへの驚きの方が強い)。そしてルイが連れて行かれる時は子供たちがその姿も母であるマリーが取り乱す姿も見ないようにとにかくエプロンを広げて子供たちを守っていて、見た目とは違う本当は心根の優しい女性であることを感じました。彼女の憎しみがいつ和らぐのかマルグリットはいつマリーに対しての見方が変わったのかずっと考えていたんですが、ランバルの死を悼み、ルイの処刑を知ったマリーに「あなたもあそこにいたの?」「あなたも万歳と叫んだの?」など問い詰められ、責め立てられているうちに彼女の中の何かが変わっていたのではないかとの結論に至りました。そして裁判にかけられたマリーを前に、自分が持っている手紙を渡すのが正解かどうかの迷いを視線で表現し、パンがなければケーキを食べればいいじゃないと言ったのが彼女であるとされたときの動揺、そしてエメールのひどい中傷からマリーを守ろうと必死に手を広げてエメールたちの視線からも彼女を隠すように動き回る姿が特に心を打ちました。多勢を前に1人で必死にマリーを守ろうとし、民衆にもう言葉が届かない自分の無力を叫ぶ姿が印象的でした。個人的には花ソニペアが好きだったので、映像に残らないのが残念でなりません。ソニンさんこれまでも歌にパワーはあるしすごいとは思っていたんですが、今回はまたこれまでにないほど強烈で、でもパワフルなだけじゃなくてマルグリットとして生きていらっしゃいました。みんなの負のオーラを吸収してくれてありがとうございました。次はハッピーミュージカルなので心穏やかに過ごしてほしいです。

 

・フェルセン

 マリーを愛し、マリーのために生きたフェルセン。CDで聞く初演とは立ち位置がかなり異なっているように感じました。初演CDの中で、”あなたはなぜ王妃なのか”という曲があるんですが、今回のフェルセンもこれを思っていたんだとしたら最高に泣けると思いました。フェルセンにとってもマリーが欠かせない人であったことが伝わってくるとてもよい曲なので、ぜひまた復活してほしいです。それではダブルの感想を。

 万里生フェルセン。指先まで貴族。声が艶やかで、”愛したーひとは-”の声の伸び方など、とにかく声がよくて歌がうまくて、そしてマリーへの愛と使命に燃える熱いフェルセンでした。なぜ帝劇で終わってしまったの万里生さん・・・。舞踏会のシーンで、片手を腰に、もう片手を上にあげるところがあるんですが、ここの腕の振り上げ方とか、移動の仕方がとてもキレがあって素敵でした。その後マルグリットが乱入してきたときやシャンパンをかけたときも、マルグリットを突き飛ばさんばかりの勢いでマリーを守ろうとするし、オルレアンに対しても敵愾心むき出しで立ち向かっていくような印象を受けました。万里生フェルセンの愛はとにかく熱いし、マリーを思うからこそ現実を見るように忠告し続けているのに全然マリーに聞いてもらえてないのが不憫でした。とにかくマリーといるときはマリーしか見てないので、おそらくあひるさんは一回も見てもらえなかったと思います。マリーとより対等な関係、なんなら彼の方が上であるような関係に感じました。マリーを抱きしめたときに背中をぽんぽんするところにきゅんとしました。彼はマリーが一緒には逃げないことを知っていて最後似合いに来るように感じます。だから「そんな」とは言うものの、そこまでの意外性はなかったのかなとも思います。万里生フェルセンはとにかくマリーを救うことに燃えているので、ルイに断られて別れた後は思わず「くそっ!!」と叫びながら足早に去って行くのは次の計画の練り直しだったのではないでしょうか。最後までマリーを愛し、彼女を救うことを目指したフェルセン。DVDでお会いできるのを楽しみにしています。

 古川フェルセン。まず顔とスタイルがよすぎて、軍服も舞踏会の衣装も、なんあら僧侶の格好でも似合う。すごい。でもそれだけじゃなくて、緩急をつけた演技と間の取り方がとても上手で、その場に自然に生まれた反応を毎回感じました。私が最初に見た帝劇の時は力が入っていて歌いづらそうなところや、別れに対しても涙ぐむ位の頼りなさ(ルイに先導を断られたときに神に祈っていた回があったんですが、最後神頼みにするしかないような頼りなさ)があったんですが、名古屋・大阪では歌への力みも消え、頼りがいを出してきましたね。そもそも登場シーンで、目を閉じて幸せそうにマリーを浮かべるんですが、優しさと愛に満ちていて、彼にとっては正に”私の”マリーアントワネットだったんだと思います。その後のバルコニーの場面で、”あなたにあえなくて・・・さびしかった”、というんですが、この「・・・」のところにもバリエーションがあって、あるときは、その間をすこし長めにとって視線をおとしてから、またマリーをみて寂しかったっていったんですよ。すげーなこいつ、自分の良さをわかってんな。とただただ関心させられました。同じ場面で階段の下から手を伸ばして届きそうですぐに届かないのがとてもきゅんとしました。古川フェルセンと花マリーは毎回化学反応のように表情を変えて新しい発見をくれました。2幕冒頭付近のマリーからの手紙を読んでいるときには「あなたをまもろう、たとえ過ちでも、愛し続ける、運命のあなた」って声を重ねるんですが、離れていてもつながる絆がそこにありました。最後別れのシーンでは、「お、おこさま方は」とマリーのお子様のことを指摘されて初めて気づいたという反応の時もありましたし、お子様が脱出できない以上マリーが一緒にこないことはわかっているけれどそれでも一縷の望みにすがって脱出の計画を提案せずにはいられないように感じた時もありました。そして涙涙の別れ。部屋に入る前にしゃがみ込んで手を組み祈るようにしていたのも確か万里生さんはしていなかったので、古フェルにとってはたっていられないくらいの状況だったんですかね。美しく愛に生きたフェルセンでした。

 

・ルイ

 とにかく現実を見ない。マリー以上に見ない。1幕最後でフェルゼンが攻めてくるぞ!って歌っているところでも「もしも鍛冶屋なら」と歌ってしまうくらいに現実逃避が激しい。王であるというを何よりも重荷に感じており、自信もなく、なぜ自分が王なのか自分に問いかけるとにかく優しい王様だったんだと感じました。自分たちが危険にさらされようと国民を愛し、ただ家族と穏やかな日々を望んでいるとても普通の人で、彼が王でないか、時代が異なっていたならきっと幸せになれたのだと思います。

 のんびりとしていてとにかく妻への愛に満ちたシュガーさん。フェルセンに対しても嫉妬しているかもしれないですがそれを妻に感じさせないように振る舞っているように感じました。オルレアンの手紙を弁明してできなかったマリーに、理解しているよ、と優しく言う姿が包容力があり素敵でした。

 おちゃめな原田さん。明日は幸せの歌でランバル夫人に一緒に祈るように促すのはいつからだったんでしょうか。彼のルイで非常に印象に残っているのは、弾劾裁判への出席が決まり、軟禁部屋から連れ出される時に、マリーに微笑むところです。自分がどのような立場であっても残していく愛した人を安心させようとしているルイが印象的でした。

 

・オルレアン

 とにかく光夫さんの声の良さに惚れ惚れする日々でした。光夫さんがオルレアンは王になるという自分の正義を信じて行動するということを言ってましたがまさにその通りでした。とても迫力があって高音の伸びもすごいし、強くしたたかな貴族でした。中の人(というか光夫さん)はとにかく気遣いの人だということに気づかされたカテコでした。いい人ですね!!!(見た目いかついので誤解してました)

 

・エメール 

  なんでこんなに憎いのかと思うくらいに憎々しいエメール。ラマールちゃんの時はあんなにかわいかったのに・・・。この人はある意味、革命の中で力に溺れたいち市民の代表であったと思います。多分彼には正義(マルグリットの貴族憎しやオルレアンの王になるみたいな)とかはなくて、周りに流される中で革命の先頭になって思うままに力を振るううちに破滅への道をたどったのではないでしょうか。あんなにいい人なのにさかけんさん・・・。

 

ほかにも、ロベスピエール、ダントン、弾劾裁判のシーンでの一般市民の怖さ(マリーの答弁には一切興味がなく、私たちにとっての真実を語れとマルグリットに詰め寄るシーンが流される民衆というものを感じました)、とても印象に残っています。

 

原作とは違う(原案くらいになっているとは光夫さん談)らしいですが、私にとってはとても胸に響く思い出深い演目になりました。

またいつかマリーに会えますように。